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海軍士官候補生には少しソフトに [ゲーツ前国防長官]

gatesANP.jpg7日、ゲーツ国防長官が今度は海軍士官学校を訪問し、先日の空軍士官学校に続いて士官候補生に語りました。米国防省HPの関連記事を書いたライターが空軍の際とは異なるので内容の厳密な比較は出来ませんが、海軍の候補生に対してはとってもソフトだったようです。

基本のメッセージは空軍士官学校の時と同じく、「若手の幹部は、上司に対して率直な助言を行うことによって貢献しなければならない。士官として、もし君たちが明白な真実を述べず、正直さが推奨されないような組織環境を作り出したならば、君たちは自分自身と組織を機能不全にすることになる」ですが、いくつかの例えやゲーツ長官の質疑への対応で興味深いところを紹介します。

軍事リーダーに必要な勇気を持った先人の例として・・・
gatesANP2.jpg1937年、クルラック(Victor Krulak)中尉は赴任先の中国で日本軍が上陸用舟艇の原型となるボートを使用しているのを見て本国にレポートを送った。そのレポートは「変わり者のレポート」とのレッテルを貼られて放置されたが、クルラックは一人で研究を続けた。たまたまクルラックのアイディアに触れた将軍が片田舎のボート業者を紹介し、最後はそのアイデアがノルマンディー上陸作戦を成功させ、欧州をナチスから開放したのである。クルラックは太平洋軍海兵隊司令官としてベトナム戦を戦った将軍である。
1905年卒業生のニミッツ(Chester Nimitz)は、空母の出現により他の艦艇が不要になるとの考えに反対し、空母を円形に他の艦艇が取り囲む陣形を考案した。そのアイディアは20年以上無視され続けたが、第2次大戦で日の目を見て以降、今日も基本体型として用いられている。

1922年卒業生のリックオーバー(Hyman Rickover)は、当時は危険すぎるとして誰もが反対した原子力潜水艦の有用性を主張し、不屈の闘志で実現させた。彼は同時に、一度事故が起これば再起は困難と考え、徹底的に安全にこだわった。そのこだわりが理由でソ連に開発で後れを取った、との間違った批判を受けながらも彼の信念は揺るがなかった。彼のお陰で米軍の原子力潜水艦は今日まで原子炉無事故を続けているのである。
海軍特殊部隊SEALsの創設に携わったボエーム(Roy Boehm)は、熱意余って装備品の改良や一般市場の武器を使用したこと等で刑務所行き寸前にまでなった人物だが、その姿勢を買われSEALsの創建に尽力した。ある日ケネディー大統領に同部隊の説明を求められホワイトハウスに赴いたボエーム(Roy Boehm)はまず、「私は大統領には投票しませんでしたが、大統領のために命を賭けることは出来ます」と述べ、大統領から「このような者がもっと必要だ」と言われた

gatesANP4.jpg学生からの質問に答えてゲーツ長官は・・・
●私が2006年12月に国防長官に着任した際、2つの問題に直面した。
一つは、ペンタゴンの仕組みが、戦争計画は作るが戦いを遂行する様に出来ていなかったことである。二つ目は、今日の戦いのための予算を配分する役割を担う者が見あたらなかったことである。その役割を担う者が少なかったのではなく、全く居なかったことである。

その他・・・
●(イラクによるクウェート侵攻直前の)1990年7月の時点で、同年12月までにサウジに50万人もの米軍人が展開すると予想した者がいただろうか? 米軍がグレナダ、ハイチ、パナマ、バルカン半島やソマリアで活動すると予期していた者など居なかった。だから私はこのような多様な課題に対応できる能力を備え、それらを同時に扱える柔軟性を持ちたいと考えるのである。

結構おもしろい内容満載です。全文は公表されてませんが、概要を紹介する記事は → http://www.defense.gov/news/newsarticle.aspx?id=58650 
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